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2003年を振り返って/2004年への期待
 金子格 個人ホームページ http://www.it-aru.com/  

今年はスタイルシートを使ってみた

2003年を振り返って

~昨年の10大ニュース~
宇宙で
・若い球状星団
・人種は存在する?

世界で

・ちょっとだけ景気回復
・イラク侵攻
日本で
・冷蔵庫を新しくしたら野菜がおいしい
・デジタル家電景気って本物?
個人的には
・東京工芸大就任
・親戚関係はほぼ平穏無事

・今年は自宅でしっぽりと
・委託研究は満員御礼
2004年への期待

~2004年への期待ベスト7~
世界
安心の形
マネーの未来
中国経済
日本
企業経営
日本道路公社ってどうよ
IT業界
個人的には
大学生活
デジタルメディア
オーディオ


意外と若い球状星団
今回から「宇宙で」という欄を新設した。ずっと続けるかどうかは不明。
昨年、「おおっ!」と思ったニュースの一つが、球状星団は意外と若いというニュース。
Scientific American October 2003 issue"The Unexpected youth of Globular Clusters"
僕らが小学校のころは H-R 図というのを勉強して、銀河の中心近くには球状星団(Globular Clusters)が多く、これらは古い星ばかりと教わったものだ。しかし天文学の進歩もとどまることがなく、最近では当時よりも格段に多くの銀河、星団を観測することが可能になった。その結果、球状星団は意外と若いものもあったということだそうである。
従来は球状星団は非常に古い第一世代の星で、古い星の中心で作られる鉄や炭素がないから、球状星団は砂漠のようにつまらないところ、という説もあったのだが、若い球状星団もあるということだと、地球型の惑星がある可能性はどうなるのだろう。
球状星団というのは、まさに星が密集しているところで、太陽系あたりとはまったく星の密度が違う。いろいろと創造力をかきたてる天体だ。人類が住む太陽系は本当に砂漠の中のようなへんぴなところだ。こんなへんぴなところでは近所に太陽系外の生命や文明の痕跡を探しても、砂漠でイタリアンレストランを探すようなものかもしれない。もし太陽系が球状星団の中(ニューヨークの真ん中)にあれば意外とすぐにイタリアンレストランの看板が見つかるか、仮に見つからなくても、そんなものはそうそうないと、簡単にあきらめがついたかもしれない。
一方、太陽系が球状星団の中にあったら、周囲が明るすぎて天の川なんか見えないかも。銀河系だけで4000億個の星があるということも知ることがなく、ものすごく小さな世界感のまま電波天文学も発達しなかったかもしれない。ずっと後になって、星団の外部が見える段階になって、「夜来たる」と似たような話だが、星団のベールを通して初めて銀河の構造を見たらさぞびっくりしただろう。と、まぁ空想はつきないのだ。

人種は存在するか?
別にあたらしい話題ではないが、たまたま昨年Scientific Americanにこの話題が載ったで紹介。記事はこちら-->Does Race Exist?。何をもって人種というか、という定義がないのでそもそも科学的に意味のない設問だが、どう定義しても遺伝子で人種を定義するのは難しいというのが面白いところだ。どの特徴をとっても統計的には中央が高い分布になってしまう。つまり人種の定義により、一卵性双生児以外はみな異なる人種、とするか、人類みな同一人種とすることはできても、どこかに2つのグループの明確な境界を見つけることはできない。
ちなみに境界がないだけでなく、分布のばらつきそのものも非常に小さい。馬や犬などよく知られている動物とくらべると人類の遺伝子の地域差は、プードルとコリーの差とくらべると非常に小さいく、ほぼ同一品種といってよい。たしかにいくら短足でもダックスフントみたいに極端に足が短い人はいない。われわれ自身では特徴の区別がつくが、犬や馬から見ると人間はみなクローンのようによく似ているというわけだ。
ようするに人類は種の成立時期からけっこう仲良く交配していて、いまだに遺伝的に特徴ある集団を形成するに至っていないということである。
少子化で日本人が消滅してもなんら心配はない。日本人の遺伝子(日本人的な特徴の遺伝子ということだが)はすでに世界中に十分いきわたっている。

ちょっとだけ景気回復
昨年はまぁ、世界的に株高だった。個人的に潤った人もいるけど、株を持っていない人も理論上はだいぶ潤った。いまや日本国民は全員100万円(くらいだっけ)は政府を通じて株を持っているようなものなので、一人50万くらいはもうかった勘定である。現金をくれるわけではないが、その分税金を払う必要性が減るのでまぁいいことだ。
これはすべて米国が超低金利政策をとってくれているおかげなんだろうが、日本も低金利政策では行き詰ったので、日本人的にはちょっと心配ではある。まぁいろいろ痛い目にもあっているので、大きく損しないように気をつけながら財産管理していれば大丈夫かなぁ。

イラク侵攻
語るのに気が重い出来事であるが、これに触れないわけにはいかないだろう。私はイラクにも米軍にも知り合いはいない(はず)だが、それを幸いと思いつつその気持ちは不道徳だと思っている。運悪く犠牲となった米国の兵士や、数多くの罪無き民間の犠牲者の皆様に等しく心からお悔やみを申し上げたい。
戦争経験のない平和な日本の市民としては、戦争による犠牲をリアリティを持って認識するのは非常に困難だ。せいぜい自分の一番悲しい体験をちょっと拡大してみるくらいしか想像する方法がないし、そんなことをしてもあまり意味はなさそうだ。人間とはいかに想像力がないものか。
侵攻すべきだったのか、いつどのように介入すべきだったのか、政治的に正しかったのか、平凡な市民である私に分かるはずもないが、ただ一つ素朴かつ最大の疑問は、作戦の目的が何なのか、そしてそれはどの程度達成されたのかということだ。いまだによくわからない。
もちろん「大量破壊兵器」うんぬんは最初から言い訳であることが明白なので、それをとやかく言うようなくだらないことをするつもりはない。よくわからないのがこれが「テロとの戦い」と称されていることだ。テロというボーダレスで反政府的な活動に、特定の国を侵攻するという方法で対する、という発想が私には非常に突拍子もなく見えて、その原理がよく理解できないのである。
テロというものは、社会的問題の圧力の下で非常に少数の集団が暴力に解決を求めて行うもので、どの国の行政とも無関係に活動しているのではないのか? 911は衝撃的だったが、残念ながらイスラムはテロの発明者でも主な擁護者でもない。日本でも三鷹事件、北銀爆弾、オウム真理教など多数のテロ事件があった、世界的には宗教テロ、政治テロ、その他もろもろ絶えることはない。
911の犯行には確かにアフガニスタンやイラクが重要な踏み台となっていたが、だからといって踏み台を一つ片付けたからといって大して効果がなさそうに思える。 「暴力と破壊は効果的な手段である」という思想がテロの最大の活力源であるように思える。そのような信念こそ徹底的に壊滅すべきだろう。
なにはともあれ、いまさら何をしても死者がよみがえることはない。せめてこの犠牲に見合う、人類への福祉が達成されるよう、最大限の努力を続けるのみだ。

冷蔵庫を新しくしたら野菜がおいしくなりました
冷蔵庫はまだまだ持ちそうだったが故あって買い換えた。理由は最新機種と旧機種では電気代が大幅に違うからである。某家電メーカーは「冷蔵庫を買い換えるという節約」なんていうコピーで宣伝しているが、実際電気メーターの回り具合を見てもコピーにうそはない。5年くらいの電気代で十分初期コストの元はとれてしまう。->買ったのはこれの旧機種
しかし実際使ってみると、意外にとうれしいのが野菜がおいしくなったことだ。以前の冷蔵庫はとにかくすごいいきおいで野菜がしおれていった。1週間もするとキャベツなんか干物になってしまう。冷凍食品すら2ヶ月くらいすると霜だらけでぱさぱさになる。これは仕方がないこととあきらめていたが、なんてことはない、冷蔵庫のせいでした。食品が無駄にならない事の方がはるかに経済効果が大きそうだ。
省エネと野菜のおいしさは多分関係がありそうだ。僕は省エネのために断熱性能があがったので結果的に野菜の持ちもよくなったのではないかと解釈している。古い方の冷蔵庫は赤外線放射の断熱はほとんどされていない。これはたとえて言えば、夏場トタン屋根のほったて小屋で、トタンの輻射熱をがんがん浴びながら、エアコンの冷気をがんがん浴びているようなもの。冷気はあたるが回りからの赤外線でどんどんあったまるので、野菜も冷凍食品も非常に効率よく乾燥してしまうわけだ。今度の冷蔵庫は輻射熱もカットする断熱材を使っている。いったん冷えたらほとんどモーターも回らない。
お金も節約でき、おいしいものを食べられる。満足度の高い買い替えだった。

デジタル家電景気って本物?
家電メーカーの人には4年くらいずーっと、次はデジタルAVでしょう、と言い続けていたのだが、今年はマスコミもデジタルAVが好調であると報じている。というわけで、もうデジタルAV機器の宣伝はやめて、次はデジタルAVサービスではないか、と言うことにしている。
デジタルAV機器で日本の家電メーカーが業績回復できるようなことが言われているがそれは相当あやしそうだ。まず売れ行きが良いといっても、しょせん再生機器やディスプレイは価格が安い。DVDプレーヤーなんか今や安売り店では5000円程度だ。そのうち100円ショップにも並ぶかもしれない(そりゃちょっとないか)。
レコーダも売れているがこれも高いのは最初だけであっという間に安くなってしまう。ようするにデジタル機器というのは量産すれば同じ性能のものがいくらでも作れるので、儲かれば儲かるほど次の瞬間には供給過剰となって価格が下がってしまう。
その点で比較的価格が下がらないのがパソコンだ。パソコンの場合は機能追加、性能向上が柔軟に可能になっている。HDDなどはいくら容量が増えてもたいていすぐに使い切ってしまうから、すぐより高性能な機種がほしくなる。スケーラビリティがあるというところがパソコンのいいところである。
というわけで、デジタル化と同時に性能の高い上位機種が出せる、スケーラブルな商品を育てることが日本の家電メーカーにとって本当は重要だと思う。私はAV機器メーカーのコンサルティングみたいなこともしているわけだが、スケーラブルな商品なりサービスをなるべく薦めている。DVDレコーダのような商品は、機能が完結していて(利益率という面では)せいぜい持って数年の商品寿命しかないように思う。Windowsやインテルプロセッサは、次々と新しい付加価値を付与し、発展させられるスケーラブルな商品であることも、成功の大きな要因だろう。私のお客さんである企業もそうした商品を多く持てるように、ちょっとだけ貢献できればなぁと思っている。

東京工芸大就任
2004年4月から東京工芸大の助教授に赴任することになった。東京工芸大は東京という名がついているが勤務先は東京ではない。工学部は本厚木にあり神奈川県のまんなかへんにある。家から大学までだいたい90分弱でこれまでで最も長い通勤時間となる。通勤は苦手なのでちょっと心配だが、家から本厚木まではだいたい座れるようなのが救いである。
新設学科ということで、初年度は2コマ程度の授業をすればよく、楽チンである。が、すぐに4~5コマになって忙くなりそうだ。
大学教員は初体験なので、当分は先輩諸氏にしっかり指導していただこうと思っている。が、とにかく日本の大学はこれから大変である。周知のことだが、工業製品の質が高い日本も大学の質はある面かなり欧米に劣っている。欧米の大学は実にみごとに知の生産機関としての機能を果たしており、うらやましいばかりだ。たとえばハーバード大学にしても単に有名なだけでなく、それだけの実体がある。->知のディズニーランド、ハーバード大学
まぁハーバードと競争するのは当面無理としても、今後IT技術の進歩によって大学教育もボーダーレス化が急速に進むと予想される中過酷な競争が起こるのは必至である。定年までは勤めたいと思っているので、特色ある中堅専門教育機関として存在意義を見出せるよう多少でも貢献できればと思っている。

親戚関係は平穏無事
2003年も何事もなく過ぎた。なによりだ。かわったことといえば、3親等以上の親戚のみなさまの中に、emailを年賀状に書いてくる人がちょっと目だってきたことくらい。親戚一同でも、友人一同でもだいたいemailの記載率は10%程度。もうちょっとすると、親戚用電子掲示板を作った方がいいかもしれない。
それはさておき、両親もうっかりするともうすぐ米寿である。最近平均寿命を超えたことを盛んに主張するようになった。加齢に関して言われていることには科学的に間違った事も多い。年をとった人の寿命は平均余命で決まり、80才以後はあまり減らない(97以上ではむしろ若干増加する!)からこの年齢の人は年をとった分寿命も伸びる。老人ぼけといわれている症状の多くはアルツハイマーで、発症しなければ頭脳の働きはあまり衰えない。これらの事実を指摘しているのだが、まったく無関心なようだ。

正月は自宅でしっぽりと
1昨年は退職日をウイーンで、昨年の正月はロンドンで迎えた。年賀状の写真は昨年の元旦にロンドンの世界一大きな観覧車 London Eye で撮影したものだ。
この日は雨だったので、元の写真は背景にそうとう雨粒が映ってしまっていた。実は雨粒を修正ソフトでごしごしと消してちょっとだけ見られる絵にしたのだが、気がついただろうか?
今年の正月は自宅でしっぽりと過ごすことにしたが、その理由としてはハイビジョンHDDレコーダがあることが大きい。5.1chの紅白歌合戦も楽しみだし、年末年始は映画もけっこうやるので、家にいても退屈はしない。これを書いているのが12月31日の18時くらいだが、この後夕飯を食べて、そのあと紅白を見て、年越しそばを食べて、と、ひさびさの純日本的正しい正月を迎える予定だ。

委託研究は完売御礼
2002年からは、実質的に個人事業者として各社から個別に委託研究をもらって生活している。予想外に好調である。すでに3年目の契約を希望している企業も多く、依頼側も満足しているようだ。
だいたい私が受注する仕事というのは、普通はできないようなことが多い。従って価格競争はない。双方本当にうまくいくのかいな、というところからスタートするので、最初はちょぼちょぼとやって様子をみてから拡大するようにしている。対価のほとんどは成果次第ということで先方のリスクを減らし、一方で多数の企業から平行して業務を受けることでこちらのリスクも減らしている。
もちろん一部、だいぶクライアントに申し訳ないなぁという状況の受注案件もある。それについては正月もちょっとだけ返上して今後3ヶ月で挽回するよう努力したい。
そういえば昨年こういうのもやった。-->MPEG符号化コンテンツの保護・配信形式標準化動向説明会 資料。これは委託研究とはほぼ関係なく講演料以外は無報酬。

安心の形
安全保障に関する議論が盛んだ。こういう議論はどんどんやってほしいと思っている。しかし、とにかくまだまだ議論は始まったばかりで、何の議論をしているのかもはっきりしないのが現状だ。
たとえば安全の定義は何か? 死亡リスクを減らすという単純な定義であれば、おそらくテロ対策よりも、手洗いに気を配った方が(インフルエンザの死亡者を減らせるので)効果が大きいかもしれない。冷戦終結前と終結後、さらに湾岸戦争の前後で、一般大衆のリスクは増減したのだろうか?目的も、手段も、成果の定義もあいまいなままで実験的に試行錯誤を行うには、武力の行使というのはあまりに人的損害が大きい。
「暴力的な勢力と武器の拡散による潜在的なリスクの増大を防ぐ」、ということがもっともコンセンサスに近いとは思う。しかしテロはあちこちで頻発するが、特定の政治的状況でしか起こらないことも事実だ(成田紛争、JR、アイルランド、イスラエル・パレスチナ)。どの国もテロまたはテロに近い状況の経験を豊富に持っているわけで、どういう政治的環境がテロを起こすかというメカニズムを研究する材料にはことかかない。
非人道的な行為や、人種間の暴力的対立を容認していた国家が、短期間に自ら民主的で平和な国家に変貌した例は皆無ではない。どうやって自らの内の非人道的な体質を改めることができたか、もっとよく研究すべきだ。幸い米国の人はその国をよく調べることができる。

マネーの未来
デフレがそろそろ終わりそうということで、今年はますます通貨の意味を深く考えさせられそうだ。デフレが続くと通貨は安全な資産とつい思ってしまうがもちろん歴史上はそんなことはない。通貨も需要と供給のバランスの上で価値が決まる金融商品だ。
しかも現在の日本の通貨は、非常に不安定な金融商品である。なにしろ総貯蓄1200兆といえば他の金融資産全部をあわせた額より多い。空売り(負債額)が多く、相当量の円が必ず買い戻されるという確信(迷信?)だけが通貨の価値を支えているという状況ではないかと思える。
りんご一個を物価や金融商品の変動にかかわらず、1年後に確実に手にいれようと思ったら、りんごの先物を1個仕入れておくのが一番確実である。こういったオプション取引を各自の消費にあわせたポートフォリオにより組み合わせて保有すれば、それこそがその人にとって最も安全な資産ではないかと思える。
こういったオプション取引はかつては夢想だったが、IT技術により実際に可能になりつつある。行政サービスや平和の配当まで含めてオプション取引化してしまえば、国が倒産しても安心だ。というのは冗談。

中国経済
中国は見たところ非常にうまくやっている。大学にも中国からの留学生が続々とやってくるし、彼らはとても明るく勉強熱心だ。
情報が開かれていないことを心配する向きもあるが、私自身はちょっと違った見方をしている。本当に危険な情報隔離は、その国あるいはその地域の人が自ら好奇心を失ってしまった場合である。戦前の日本は明らかにそうだった。大衆が自ら自分たちの世界の見方を一つの見方に絞っていった。中国の学生は実に発想も豊かだ。
過度の拝金主義は確かに問題だ。しかし拝金主義というものに利点があるとすれば、もともと国富の少ない国で金をかせぐには、将来を予測し、大衆を豊かにしながらビジネスを発展させなければならない、ということだ。国富の少ない国で成功したビジネスマンは、たいていの場合政治家としても善良である。

企業経営
タクシーに乗っていたらラジオから「競争が厳しいので能力のない社員はやめてもらう」なんて台詞が聞こえてきて、思わず笑ってしまった。ドラッガー氏の言を待つまでもなく、もし「競争状態」であればそんなことで企業の利益が向上することはない。有能な社員だけ残そうとすれば多分平均給与は高止まりするが、社員の能力を活かせなければ利益は下がる可能性の方が高い。
ラジオの声の主は別として、見聞きする限り企業経営はものすごく進歩してきた。10人程度のチームに自社社員に加え、様々な国から様々な雇用形態で人材を投入してプロジェクトチームを構築し、非常に効率的に成果をあげている企業もある。堺屋氏の言う知縁社会が確実に発達し、それとともに日本企業の価値創造能力が静かに向上している(と思いたい)。
今年はこういう傾向がますます顕著になるのではないか。

日本道路公社ってどう?
これで気が抜けてしまった人は多いのでは。あまりすっきりせず残念でした。
小泉政権を擁護するつもりはないが、何もないよりましかなと思っている。道路公団その他の問題にしても、第一ステップで重要なのは決定権と責任が明確になることだ。これでだれが何を要求し、だれが何を負担しているかが明確になったので、この先きちんとした方向に導かれると期待したい。
たとえば、通行料を担保に借り入れをして道路を建設するというのは、表面的にはもちろん問題だ。が、公社は利益団体だから不採算路線を建設する判断をsうれば、背任とするという考え方も可能かもしれない。将来の運賃収入にはリスクがあるから、これを国で保障せず、債券は公社自身が市場で消化することにしてもよい。

IT業界
ITは終わったという気の早い話を聞くようになった。本当だろうか?
日本の電子工業品輸出は14兆円。その中で完成品の売り上げは10%程度に過ぎない。デジタルLSIは3兆円程度と、同じく3兆円程度のLSI以外の電子部品やLCDなどと並ぶ日本の主要生産品目だ。完成品はもはや電機業界の生産額の10%にも満たない。電子工業品におけるデジタル技術の重要性はいうまでもない。
好調の輸送機械、今後が楽しみなバイオ関連を含め、すべての産業において情報技術の果たす役割はますます大きくなりつつある。しかもまだこれらの高度な分野での情報技術の使われ方はまだまだ原始的だ。
ITを単なるロジスティックスのバックオフィス

大学生活
来年から大学に勤めることになったのだが、まったく知らない世界なので不安と期待がいっぱいである。あまり甘い期待はしていないが。
期待していないこと。
(1) これで仕事は安泰だ -> 少子化、大学改革、グローバル化の中で大学は激動の時代を迎えると思っているので、安泰だとは思っていない
(2) 固定給気楽な商売 -> たぶん固定給も廃止して、流動性を高めないとやっていけないのではないか? デフレの反動でインフレが急進すれば固定給はうれしくない。
期待していること
(1) 発言の自由
企業に勤めていると、やはりその企業の利益に貢献しなければというしばりがかなり精神的負担である。もちろん委託研究のクライアントは大事にするが、定義のあいまいな忠誠というあやしいしばりがないのはすごく楽。
(2) フレキシブルな関係
現在は委託研究という形で数多くの仕事をもらっているが、これは雇用契約と違って相手が不満なら切れる関係である。これは、相手がすごく迷惑しているのではないか、という不安から多少解消されるので精神的にすごく楽である。
今後も企業よりフィードバックを受けながら活動できるとありがたい。

デジタルメディア
昨年宣言したように、HDレコーダを購入して、妻にもなかなか好評だった。AV機器を購入して妻に好評というのはなかなか幸せな状況である。文句もいわれないし。
今年検討したいのはホーム大容量サーバー。Windows Media Center(デジタル対応はしないだろうけどアナログ専用で)。

オーディオ
今年はいいかげん、アナログレコードとアナログテープをデジタル化しなければと思っている。音質のよいADコンバータを含め、機材はそろっており、去年テープを5本くらいはデジタル化したのだが、家で仕事をしているとつい仕事を優先させてしまい、なかなか自分のことをやる時間がない。